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廃校フェスへの道

このblogは東京都内に多くある廃校になった学校の跡地を利用してロックフェスティバルをやりたい!という思いから始まり、2008/3/30(日)芸能花伝舎にて開催へとこぎつけた、汗と涙のストーリーをリアルタイムで記録していったブログです。フェス終了後、それまでに書ききれなかったことを後述しています。同じようなイベントをやりたい人は参考にしてください。
2024
04,19

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2006
10,11
前回のエントリーで書いたように、あらためて今回のフェス計画の意義と狙いを書きます。

といっても、最初からそこまで考えたわけではなく、フォーラムで説明するにあたって考えたことなので、フォーラムで話した内容を箇条書きで記します。

・まずは「学校の校舎を使ってロックフェスをやったら楽しいだろう」という遊び心。それが一番大事。
・かっこいいインディーバンドを一同に集めることで、対外的にシーンとして存在をアピールする。
・blogはMIXIコミュを使って、イベントの制作過程をオープンにすることで、後に続く人に制作ノウハウを共有できるようにしたい。
・10年前に始まったFUJI ROCKがそれまでの音楽の聴き方(特に洋楽ファン)に変化を促したように、広がりを見せないインディ−シ−ンになにかが変わる切っ掛けになれば嬉しい。

そんなことを話した。まあつまり、今までに無かったような面白いイベントが開けて、それが1日だけで終わらず後に続くものになってくれたら嬉しい、ということですよ。
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2006
09,21
HENRYTENNISの奥村くんと廃校フェスを来年秋に向けてやる!と意気投合をしたは良いが、そこからの僕は相変わらず行動に移さなかった。

一ヶ月ぐらい経ち、ふと「TV Bros」を立ち読みすると、大人計画が多摩にある小学校跡地を使って「大人の文化祭」を開くらしい。しまった!!先を越された。いやアイデアをパクられた(なわけない)。

と、そんな焦る訳でもなく、「大人計画だったら、そりゃ自治体も協力するよなー」と思いつつ、奥村くんにその情報をメール。返ってきたのは「飲みませんか?」という内容だった。

僕とblunstoneスタッフのakko(mixi名)と奥村くんの3人で、下北沢で飲む。奥村くんは熱い男だった。彼はシーン全体の現状に対する憂いと、それを打開すべく「ネオ・アンダーグラウンド」というフォーラムを開催する計画を語った。

その時に廃校フェス計画の話も進めるが、その際にmixiでコミュを作り、同志を探すことも思いつく。あんまり飲まない僕とakkoに奥村くんは物足りなさそうだったが、とりあえずその日はそんな感じに盛り上がって終わる。

が、それからも僕は「あーコミュ立てなきゃなー」と思いつつ何もしない。”明日出来ることは明日しよう”体質なんですよ。

が、9/11の奥村くんのmixi日記から、「ネオアンダーグラウンド」のMIXIコミュが発足したのを知る。

という訳で、一番最初の書き込みへと続くのです。
2006
09,17
廃校跡地を使ってイベントをする、という妄想は思いついたが、その後1年半以上何もしなかった。

というか、行動に移そうとも思わなかった。そんなの規模が大きいし、障害も多い。レーベルを立ち上げてから今まで、ずっと一人で行動してきた僕には、志を同じにする人達と共に行動する、という発想が全くない。ので、こんな大きなイベントは自分一人で出来るものではないので、思い付く即お蔵入りだったのだ。

そして月日が経ち2006年の7月。プロモーションを手伝ったイギリスのバンド、fiel garvieが来日し、NESTでライブをすることになったので、当日僕は物販の御手伝いをした。その物販席の隣に、その日の対バンで同じくプロモーションの御手伝いをしたHENRYTENNISの奥村くんがいた。

奥村くんがイベンター?の女の子と、何やらイベントの話をしている。聞くと秋口にどこかでフェスをやりたいと言う。それはライブハウス以外の場所でやりたいらしく、どこか良い所がないかと話し合っていた。

ライブハウス以外の場所でイベントを開きたい、というのは僕も共通する思いだったので、その話に乗り、それまで心の倉庫にしまっていた幾つかのアイデアを出す。(その中には都電荒川線を貸し切り、移動する車内でライブというアイデアもあったのだが、これは車内に電源がないことと振動が激しいことで断念)

そこで1年半前に思いついた廃校跡地イベントを出すと、二人とも大ノリ。よしやろう!必ずやろう!と盛り上がるのだが、今からだと時間がないので、来年の秋にしよう、という話で落ち着いた。

が、それから1ヶ月以上何もしなかった。

続く
2006
09,13
僕の高校時代の同級生に芸術家をやっているのがいるんだけど、2004年の秋にそいつから誘われた展覧会がそもそもの始まりだった。

その展覧会は70年代生まれの芸術家が集まって、西巣鴨駅すぐ近くの旧朝日小跡地を使った合同展覧会だった。一人一人が一つずつ教室を使って自由に展示するもので、それぞれの作品もとても興味深いものだったけど、その”学校跡地を使う”というアイデアにすごく惹かれた。

どっかの教室がカフェになっていて、DJがレコードをかけていた。そこでお茶をしてる時に、「一つ一つの教室がライブハウスになり、クラブになり、カフェになり、その他いろいろと使えたら面白そう。体育館や校庭で大型ライブしたり、廊下にアート作品を展示するのもいいかも……」と妄想だけは瞬く間に広がっていったのだが、それから1年半以上何もしなかった。

続く
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プロフィール
HN:
竹内知司
HP:
性別:
男性
自己紹介:
この計画の発起人。blunstone inc.主宰。
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