2006 |
09,21 |
HENRYTENNISの奥村くんと廃校フェスを来年秋に向けてやる!と意気投合をしたは良いが、そこからの僕は相変わらず行動に移さなかった。
一ヶ月ぐらい経ち、ふと「TV Bros」を立ち読みすると、大人計画が多摩にある小学校跡地を使って「大人の文化祭」を開くらしい。しまった!!先を越された。いやアイデアをパクられた(なわけない)。
と、そんな焦る訳でもなく、「大人計画だったら、そりゃ自治体も協力するよなー」と思いつつ、奥村くんにその情報をメール。返ってきたのは「飲みませんか?」という内容だった。
僕とblunstoneスタッフのakko(mixi名)と奥村くんの3人で、下北沢で飲む。奥村くんは熱い男だった。彼はシーン全体の現状に対する憂いと、それを打開すべく「ネオ・アンダーグラウンド」というフォーラムを開催する計画を語った。
その時に廃校フェス計画の話も進めるが、その際にmixiでコミュを作り、同志を探すことも思いつく。あんまり飲まない僕とakkoに奥村くんは物足りなさそうだったが、とりあえずその日はそんな感じに盛り上がって終わる。
が、それからも僕は「あーコミュ立てなきゃなー」と思いつつ何もしない。”明日出来ることは明日しよう”体質なんですよ。
が、9/11の奥村くんのmixi日記から、「ネオアンダーグラウンド」のMIXIコミュが発足したのを知る。
という訳で、一番最初の書き込みへと続くのです。
一ヶ月ぐらい経ち、ふと「TV Bros」を立ち読みすると、大人計画が多摩にある小学校跡地を使って「大人の文化祭」を開くらしい。しまった!!先を越された。いやアイデアをパクられた(なわけない)。
と、そんな焦る訳でもなく、「大人計画だったら、そりゃ自治体も協力するよなー」と思いつつ、奥村くんにその情報をメール。返ってきたのは「飲みませんか?」という内容だった。
僕とblunstoneスタッフのakko(mixi名)と奥村くんの3人で、下北沢で飲む。奥村くんは熱い男だった。彼はシーン全体の現状に対する憂いと、それを打開すべく「ネオ・アンダーグラウンド」というフォーラムを開催する計画を語った。
その時に廃校フェス計画の話も進めるが、その際にmixiでコミュを作り、同志を探すことも思いつく。あんまり飲まない僕とakkoに奥村くんは物足りなさそうだったが、とりあえずその日はそんな感じに盛り上がって終わる。
が、それからも僕は「あーコミュ立てなきゃなー」と思いつつ何もしない。”明日出来ることは明日しよう”体質なんですよ。
が、9/11の奥村くんのmixi日記から、「ネオアンダーグラウンド」のMIXIコミュが発足したのを知る。
という訳で、一番最初の書き込みへと続くのです。
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2006 |
09,20 |
自分のmixi日記で、フェス計画を公表する。僕の友達も何人か参加してくれたのは嬉しいが、いよいよこれで引っ込みがつかなくなってきた。というか、そうしないと僕は動かない。
mixiコミュ内の議論は時に活発になり、時に停滞する。コミュが賑やかになるのは管理人次第だと思うので、僕にしては珍しくレスをつけていく。
ただ計画は1年の長丁場。今から飛ばしていると、そのうち疲れるので、あまり飛ばさないようにしておこう。
とりあえず第1回ミーティングが開かれるようになった。いよいよ僕の妄想から計画が歩き出すときが来た。
コミュ人数は現在33人。
mixiコミュ内の議論は時に活発になり、時に停滞する。コミュが賑やかになるのは管理人次第だと思うので、僕にしては珍しくレスをつけていく。
ただ計画は1年の長丁場。今から飛ばしていると、そのうち疲れるので、あまり飛ばさないようにしておこう。
とりあえず第1回ミーティングが開かれるようになった。いよいよ僕の妄想から計画が歩き出すときが来た。
コミュ人数は現在33人。
2006 |
09,17 |
廃校跡地を使ってイベントをする、という妄想は思いついたが、その後1年半以上何もしなかった。
というか、行動に移そうとも思わなかった。そんなの規模が大きいし、障害も多い。レーベルを立ち上げてから今まで、ずっと一人で行動してきた僕には、志を同じにする人達と共に行動する、という発想が全くない。ので、こんな大きなイベントは自分一人で出来るものではないので、思い付く即お蔵入りだったのだ。
そして月日が経ち2006年の7月。プロモーションを手伝ったイギリスのバンド、fiel garvieが来日し、NESTでライブをすることになったので、当日僕は物販の御手伝いをした。その物販席の隣に、その日の対バンで同じくプロモーションの御手伝いをしたHENRYTENNISの奥村くんがいた。
奥村くんがイベンター?の女の子と、何やらイベントの話をしている。聞くと秋口にどこかでフェスをやりたいと言う。それはライブハウス以外の場所でやりたいらしく、どこか良い所がないかと話し合っていた。
ライブハウス以外の場所でイベントを開きたい、というのは僕も共通する思いだったので、その話に乗り、それまで心の倉庫にしまっていた幾つかのアイデアを出す。(その中には都電荒川線を貸し切り、移動する車内でライブというアイデアもあったのだが、これは車内に電源がないことと振動が激しいことで断念)
そこで1年半前に思いついた廃校跡地イベントを出すと、二人とも大ノリ。よしやろう!必ずやろう!と盛り上がるのだが、今からだと時間がないので、来年の秋にしよう、という話で落ち着いた。
が、それから1ヶ月以上何もしなかった。
続く
というか、行動に移そうとも思わなかった。そんなの規模が大きいし、障害も多い。レーベルを立ち上げてから今まで、ずっと一人で行動してきた僕には、志を同じにする人達と共に行動する、という発想が全くない。ので、こんな大きなイベントは自分一人で出来るものではないので、思い付く即お蔵入りだったのだ。
そして月日が経ち2006年の7月。プロモーションを手伝ったイギリスのバンド、fiel garvieが来日し、NESTでライブをすることになったので、当日僕は物販の御手伝いをした。その物販席の隣に、その日の対バンで同じくプロモーションの御手伝いをしたHENRYTENNISの奥村くんがいた。
奥村くんがイベンター?の女の子と、何やらイベントの話をしている。聞くと秋口にどこかでフェスをやりたいと言う。それはライブハウス以外の場所でやりたいらしく、どこか良い所がないかと話し合っていた。
ライブハウス以外の場所でイベントを開きたい、というのは僕も共通する思いだったので、その話に乗り、それまで心の倉庫にしまっていた幾つかのアイデアを出す。(その中には都電荒川線を貸し切り、移動する車内でライブというアイデアもあったのだが、これは車内に電源がないことと振動が激しいことで断念)
そこで1年半前に思いついた廃校跡地イベントを出すと、二人とも大ノリ。よしやろう!必ずやろう!と盛り上がるのだが、今からだと時間がないので、来年の秋にしよう、という話で落ち着いた。
が、それから1ヶ月以上何もしなかった。
続く
2006 |
09,15 |
blogのヘッド部分におく画像を作ってみた。
テンプレートに使われているヘッド画像を落としてきて、それに学校の写真を置いただけのしか作れなかった。もっと凝りたいのだが、そうするとタイトルと説明の文字が読めなくなる。
フリーソフトで、写真をLOMO風に加工するソフトを使ってみたのだが、境界線のの色指定でスポイトツールがなく、色コード指定も出来ないので、視認でblogの背景色に色を合わせて見るのだけど、上手くいかない。
忍者ブログのテンプレート修正は便利なのだが、なかなか反映されない。と思ったらMacには非対応だった。とほほ。あまり慣れないWinを使って作成する。
いずれ公式サイトも作りたいのだが、やはり自分のデザイン力に限界を感じる。誰かデザイナーの方でボランティアでやってくれる方いませんか? blogのテンプレート作成も御願いします。
MIXIコミュの人数は20人になった。
テンプレートに使われているヘッド画像を落としてきて、それに学校の写真を置いただけのしか作れなかった。もっと凝りたいのだが、そうするとタイトルと説明の文字が読めなくなる。
フリーソフトで、写真をLOMO風に加工するソフトを使ってみたのだが、境界線のの色指定でスポイトツールがなく、色コード指定も出来ないので、視認でblogの背景色に色を合わせて見るのだけど、上手くいかない。
忍者ブログのテンプレート修正は便利なのだが、なかなか反映されない。と思ったらMacには非対応だった。とほほ。あまり慣れないWinを使って作成する。
いずれ公式サイトも作りたいのだが、やはり自分のデザイン力に限界を感じる。誰かデザイナーの方でボランティアでやってくれる方いませんか? blogのテンプレート作成も御願いします。
MIXIコミュの人数は20人になった。
2006 |
09,13 |
僕の高校時代の同級生に芸術家をやっているのがいるんだけど、2004年の秋にそいつから誘われた展覧会がそもそもの始まりだった。
その展覧会は70年代生まれの芸術家が集まって、西巣鴨駅すぐ近くの旧朝日小跡地を使った合同展覧会だった。一人一人が一つずつ教室を使って自由に展示するもので、それぞれの作品もとても興味深いものだったけど、その”学校跡地を使う”というアイデアにすごく惹かれた。
どっかの教室がカフェになっていて、DJがレコードをかけていた。そこでお茶をしてる時に、「一つ一つの教室がライブハウスになり、クラブになり、カフェになり、その他いろいろと使えたら面白そう。体育館や校庭で大型ライブしたり、廊下にアート作品を展示するのもいいかも……」と妄想だけは瞬く間に広がっていったのだが、それから1年半以上何もしなかった。
続く
その展覧会は70年代生まれの芸術家が集まって、西巣鴨駅すぐ近くの旧朝日小跡地を使った合同展覧会だった。一人一人が一つずつ教室を使って自由に展示するもので、それぞれの作品もとても興味深いものだったけど、その”学校跡地を使う”というアイデアにすごく惹かれた。
どっかの教室がカフェになっていて、DJがレコードをかけていた。そこでお茶をしてる時に、「一つ一つの教室がライブハウスになり、クラブになり、カフェになり、その他いろいろと使えたら面白そう。体育館や校庭で大型ライブしたり、廊下にアート作品を展示するのもいいかも……」と妄想だけは瞬く間に広がっていったのだが、それから1年半以上何もしなかった。
続く
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